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取材を通して、日本のものづくりを伝えるお店
時間を超えて側にいてくれる“指物”の世界とは。指物師・益田大祐氏が語る職人の魅力と覚悟
2025/05/20
金釘を使わずに、木と木の組み合わせだけで家具や調度品を作り上げる技術“指物”。指物には1000年以上の歴史があると言われており、日本を代表する伝統工芸のひとつだ。
今回は、墨田区で『指物益田』を構える指物師・益田大祐氏をインタビュー。指物師を目指したきっかけや、職人という世界のリアルについて語ってもらった。
指物が何度も蘇るワケ
安価で組み立ても簡単な家具やインテリアブランドが増え続けている現代で、指物を所有している人はどのくらいいるのだろうか。指物師である益田大祐さんに、指物とはそもそもどういった技術なのかについて教えてもらった。
「指物とは、金釘を使わずに作る家具屋調度品のことを言います。穴を掘って、“オス”と“メス”を作って、組み合わせる。いまは“膠(にかわ)”や木工ボンドなども使うのですが、昔はご飯粒を潰してノリ代わりにする“続飯(そくい)”という方法もありました」
「指物は、修理をして何年も使い続けられることを前提としています。だから、使う接着剤もお湯で洗って取れる程度のものしか使いません。組み合わせを作って嵌めて、弱めの接着剤を使って締める。水分を含むと木が膨らむ原理も利用して、強度を高めます」
最終的に指物は、木の組み合わせだけで成り立つということだ。実際に益田さんに見せてもらった組み合わせは、少しの隙間もなくぴったりと“オス”と“メス”が密着して、ひとつのかたちになった。
「指物はなんというか、数学的なんですよね。組み合わせる基本の型があって、作るものに合わせて応用して型を変えていくんです。必要であれば、複雑化させる。組み合わせる部分の表面積を増やすほど頑丈になります。でも木を削れば削るほど木の強度は落ちるので、そこはバランスを取る必要があります」
組み合わせの型は“仕口(しくち)”といい、木の体積も考えながら設計をする。大きな作品になればそれだけ複雑になるということだ。正確に彫ったり削ったりするだけでも驚きだったが、改めて指物の難しさと技の凄さを感じる。
益田さんは、普段の依頼を振り返ってこう語った。
「1度作ったら何十年も使うことができるので、江戸時代に作られた指物の修理依頼なんかもよく来ます。あとは祖父の代から使っている鏡台を直して欲しい、といった依頼なども来たりしますね。ちゃんとした技術で作られているものであれば、長い年月が経っていても新品同様に直すことができるんですよ」
江戸時代のものを、令和に修理することが可能なのが驚きだ。指物の技術は、指物師がいる限り、想像しているもっと先の未来までつなげることができるのだろう。
1000年以上の歴史があると言われている指物。益田さんに、その始まりについて教えてもらった。
「指物の源流は京都になります。いまのように実用的なものというよりかは、自身の権力や身分を示すものを作ることが多かったようです。刀置きとか、嫁入り道具とかですね。それから江戸時代になり、商人が権力を持つようになってから、徐々に指物で商売道具も作るようになり、指物はより民衆的な文化になりました。地方では土地に余裕があるので大きな箪笥が作られたり、狭くて火事が起きやすい江戸では、小ぶりでコンパクトなものが作られたり、同じ指物でも地域によっても違いが出てきたのもこのくらいからですね」
薬の行商人なども、指物を使っていたようだ。指物でできた薬箱を組み立て、売り物を詰め、背中に背負い、「エッホ、エッホ」と運ぶ当時の商人の姿が目に浮かぶ。指物の歴史は、その土地で暮らす人たちの生活が透けて見えるようでとても面白い。そのくらい、指物は人々の生活に根付いた技術なのだろう。
「道具も発達し、扱える材料も増えてきたので、職人同士も技術を競い合うようになり、指物はどんどん進化していきました。また、歌舞伎が流行したのも江戸時代です。小道具や鏡台が必要になるので、さらに指物の需要も高まりました。雅(みやび)なものを作るところから、街に暮らす人が使うものを作る技術へと、立ち位置が変わっていったんです」
昔は、職人と依頼主のあいだに”問屋”という存在があったという。いまのように、職人が直接お客さんと関わるというわけではなかったようだ。
「問屋は、いまでいう仲介業者のようなものですね。太い問屋についた職人はそれだけでもう忙しく、ほかから注文を受けるのも難しいから、歌舞伎専門、お茶道具専門など、自ずと自分の得意な分野に特化していったんです。でもいまはそれだけだと食べていけないので、何個か分野を担当しています。うちも歌舞伎関係、茶道具、香道具など幅広く制作しています」
デザインの面白さを求めて
そもそもなぜ、益田さんは指物師になったのだろうか。そのきっかけについて聞いた。
「私は最初、高等専門学校の工業デザイン課に通っていました。学生時代からなんとなく『デザイナーになりたい』と思っていて。その後、家具の製造会社に入社したのですが、ちょうどバブル崩壊のときだったんです」
「もうそんな時代のデザイン部なんて、1番人員を必要としていないじゃないですか(笑)。自分がそこにいる意味がわからなくなっていた時期というのもあり、じゃあ自分で技術を身につけてデザインができるようになればいいと思ったんです」
軽快に笑う益田さん。世のなかの景気に追い詰められるわけではなく、そこから柔軟に進路を選んでいった姿に、職人としての根幹を感じる。
益田さんが指物師になったのは、世のなかの流れだけではなかったようだ。
「現場を見ると大量生産をするために工作機械を使っていて、本当に自分の手で技術を身につけているのは年配の方たちだけ。だから、機械を使って作れるものに限界があるんじゃないかと思ったんです。もしそうなら、デザインって面白くないかもと感じました。まだ就職して1年目だったんですけどね(笑)。技術を習得しているのもこの年配の方たちが最後の世代かもしれない、ということもうっすらと感じていて」
「職人になったのも、『伝統工芸を守りたい』というよりかは、自分のデザインの幅を広げるというのが大きな理由でした。あとは、現状をどうにかしたかったタイミングというのもあります。ちょうどそのとき雑誌に親方が載っていて、お話をお伺いしに行きました」
職人の道を選ぶとなると、かなりの覚悟と決断があるというイメージがあったが、益田さんの選択は想像以上に軽やかで、職人という世界を“そんなに怖がらなくていいよ”と背中を押してくれるようなものだった。
そんな益田さんが門を叩いた職人の世界は、どんなところだったのだろうか。
「私が弟子入りしたのは、お父さんと息子さんがやっているところでした。息子さんが私に仕事を教えてくれたので、側から見ると兄弟子が親方という感じでしたね。お父さんは温厚で物静かな方でした。息子さんはザ・下町のお兄ちゃんという感じです。三社祭が近くなるといなくなるような(笑)。組合には私のほかに7人ほどお弟子さんがいたのですが、みんな辞めてしまいましたね」
益田さんは、当時についてゆっくりと振り返った。
「そうですね……30歳前後になると、『これで食っていけるのか』とやはり現実的に考え始めるんです。家具屋さんに就職したり、教員免許を持っている人は教師になったり、それぞれの道に進んでいきました。やっぱりその年代って、普通に働いている同級生はそれなりに年次を重ねて、しっかりとした生活を送り始める歳でもあります。今後の人生設計を考え、続けるのは難しいと判断する人が多かったのかもしれないですね」
職人の世界は、飛び込むだけが決断ではない。挑戦したその先に、改めて『自分の人生はこれでいいのか』という自分自身との戦いや葛藤が待っている。
「京都などでは会社として指物師が働いているところもあるし、親方さんのもとに職人さんが5、6人いるっていうのが当たり前なのですが、東京は場所が狭いこともあって大きくやるのがなかなか難しいのもあるのかもしれません」
そんな人生の壁を、益田さんはどうやって乗り越えたのだろうか。当時のリアルな暮らしぶりについても教えてもらった。
「実家が都内だったので、最低限の暮らしは確保できていたんです。それでも同世代の一般的な給料よりかは安かったので、土日は学生時代にアルバイトしていたラーメン屋さんにお世話になったりもしていました」
そんな修行時代を乗り越え、益田さんは30歳のときに独立を果たしたという。改めて修行時代を振り返って、1番苦労したことについても聞いてみた。
「道具ですね。どんな仕事もそうだと思うんですけど、自分が思った通りに道具を扱えるようになるまでが難しかったです。それに指物師が扱うのは刃物なので、毎日何十回も研がなければいけません。若いときはそればっかりに時間が取られてしまって、「仕事しろよ」となっていました(笑)。刃物も人が打って作ったものなので、調子も一定というわけではなく、いいときと悪いときがあるんです。そういうときにどうするのかという、道具との付き合い方がわかるようになるのも時間がかかりましたね」
どんな仕事でもそうだろう。筆者もいまでこそMacBookを平気な顔をして使っているが、スムーズに仕事を進められるようになるまでに、拡張機能やらショートカットキーを覚えなければいけなかった。
「あとは材料の見極めですね。指物は天然木を使っています。現在は人工的に圧力をかけて、木の水分を抜いて乾燥させる技術もありますが、指物に使う材料でそれをしてしまうと割れたりしてしまうので、銘木屋さんでは乾燥させるために何十年もかけて、ときには店主さんのさらに上の世代のときから置いてあったりします。指物では、そうして自然の力で乾燥させた天然木を使うんです」
筆者が今回の取材でもっとも驚いたのが、この話だ。何十年もかけて乾燥させた貴重な木材なんて絶対に失敗が許されない。少し想像しただけで緊張で動悸が激しくなるようだった。
「購入するときは、必要な厚さの1.5倍ほどの厚さに製材します。なぜかというと、いままで空気に触れていなかった部分が露出すると、木が動くからなんです」
木が“動く”? まるで動物の話をしているようだと感じた。どういうことなのか、初心者の筆者に向けて、益田さんは丁寧に説明してくれた。
「かたちが捻れたりして、変化するんです。だから、工房に持って帰ってきて重しを乗せて、目的の厚さになるまで1年ほど平積みをすることもあります」
ここでまた衝撃を受ける。購入してからさらに1年ものあいだ工房に置くとは。指物のスケール感にふたたび圧倒された。
「一気に削って薄くすると、また木が動いて狂ってしまうので、1か月で1ミリくらいの間隔でだんだんと薄くしていくんです」
1か月で1ミリ。こんな世界があったとは。そんな工程を経て生まれた指物は、自分が想像している以上に職人さんがかけた時間や愛情、こだわりが詰まっていることを知った。
「そこが指物に魅了されたひとつでもあるんですけどね。木によっては、育ってきた環境で癖があります。たとえば山の斜面で育った木は、自分の重さに耐えるように育っています。そういった木を伐採すると、もう負荷がないのに何年も反発するようにしなるんです。そういう木はベッドの板に使ったり、木それぞれの特性も考えながら作っていますね」
なんだか人間の話をしているみたいだ。私たちと同じように、木にも生い立ちや性格がある。きっと指物師にはわかるのだろう。この子たちがどんな人生を歩んできたのか。
作るだけが職人ではない
益田さんに、改めて職人に必要な要素とは何かを聞いた。「そうですね……。人と話すのが苦手で、ものを作っている方が向いているという理由で職人を目指す方がよくいるんです。でもそれでは職人になるのは無理ですね」筆者も職人に対して、寡黙に手を動かす印象を持っていた。
「それは昔の話で。それこそ問屋さんがあったから、職人は仕事場にいて発注を受けたらよかったのですが、いまはその問屋さんもないし、黙って作っていれば売れるという時代でもありません。材料の値段もあってないものなので、交渉も必要になります」
職人と依頼主をつなぐ問屋という存在。それがなくなったいま、どうやら現代の職人は作る以外の部分も担う必要があるようだ。
「売り場も減ってきていますからね。少し前までは百貨店の催事売り場などで販売することもあったのですが、いまは物産展など食品の勢いがすごいので。そうしてコツコツ真面目に技術を身につければ食べていける保証はない。だからこそ、じゃあどうするのかを考える力が必要になると思います。その先を考えないといけない時代ですよね」
「まあ、自分たちもこの先どうなるかわからないので(笑)。だからこそ、若い世代には+αでほかの技術を習得して掛け合わせたり、職人という固定概念にとらわれずに、幅広い目線でものづくりを考えていくことも大事なのかなと思います」昔のやり方や技術を受け継ぐことはもちろん大事なことだ。だが、現実問題それだけで生活が成り立つ時代ではなくなってきていることを、益田さんの話から感じた。
だが、いまの時代だからこそ使える技術や需要が生まれたのも事実だろう。実際に益田さんが新たに取り組んでいる事例について教えてもらった。
「スーツケース茶室『ZEN-An禅庵』というプロジェクトに、指物師として参加しました。日本でも茶室を作る人は少なくなっていて、海外の販路を開拓する狙いもあって、スーツケースに入る茶室というのを制作しました。お線香が消える15分間で組み立てることができるという、少しパフォーマンス的な部分も含めて発表させていただいたんです」
[動画]世界中どこでも持ち運びできる茶室!スーツケース茶室「ZEN-An禅庵」
「そのスーツケース茶室も、結果海外からの反響が多く、販売もほぼ海外の方です。お客さんもそうですが、職人側でもいまは海外の勢いがすごいですね。弟子入り志願やインターンも外国の方がほとんどです。このあいだも、ドイツの大学で木工を学んでいる方が、日本の指物を教えて欲しいとインターン志望でいらっしゃいました」
インバウンドで外国からの観光客や労働者が増えていることは知っていたが、まさか職人を目指す外国人も増えているとは。日本の文化も、時代とともに変化の波が訪れている。
そして益田さんは、職人の動きが時代によって変化したことについてこう振り返った。
「私は作る技術ももちろん大事なのですが、人と人とのつながりも同じくらい大事だなと思っています。問屋という存在がなくなって、お客さんと直接お話しする機会もかなり増えました。たとえば歌舞伎の業界の方なんかはお忙しいので、ネットで調べるより口コミでお仕事をいただくことも多いんですよ。ネットは情報がありすぎるので、どこに頼むべきなのか逆にわからない。だから、特殊な分野の方ほど口コミで決める傾向が強いんです。そういう意味では、時代に逆行している部分もあるかもしれません(笑)」
インターネットが定着したからこそ、強くなる“口コミ”の力。一見便利な世のなかになったようにも感じたが、同時に情報の取捨選択に労力を割かなくてはいけなくなったのも事実だ。そして、機械ではなく、職人の手や血が通った指物の魅力は人を介して知る方が、魅力や価値が伝わるような気もした。
「非効率と言えば非効率ですけれど、でもそうやって長く付き合いが続くことはいいことですし、指物は1度買えば終わりというわけではないので。そういった先の時代に続いていくつながりも、指物に求められているところなのかなと思っています」
修理ができることを前提として作られた“指物”という存在。ただ長く使い続けることができるだけではなく、多くの人の手に触れられてきた歴史や時間の積み重ね、使う人と一緒に同じだけの時間を過ごしてきた木の人生を感じることができる。
指物は、場所を変え時間を超え、ずっととなりにいてくれる存在だ。流行や時代が目まぐるしく変わる現代だからこそ、人生をともにする安心感を与えてくれるだろう。指物師がいる限り、指物は生き続けられる。そんな人とモノの枠を超えた、不思議なつながりを教えてくれた。
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