ブランド紹介

松山陶工場

赤線装飾

三重県伊賀市で110年以上続く老舗の窯元、松山陶工場。
伊賀の土が持つ特徴を活かし、土鍋や温め鍋をはじめとする耐熱陶器を製造しています。

窯業の常識や伝統といった固定観念にとらわれず、伊賀の耐熱土と手仕事を活かした使い勝手の良い器づくりが特徴。
使うほどに表情を変え、暮らしに馴染んでいく器は、まさに「育てる器」です。

毎日の食卓に自然と溶けこむような、長く愛着を持って使い続けられるものづくりを続けています。

赤線装飾

変化を厭わない自由さが育てた、他にはないスタイル

三重県伊賀市は、古くから「伊賀焼」の産地として知られています。

今回はそんな伊賀の地で、100年以上も続く老舗の窯元である「松山陶工場」にお邪魔しました。

伊賀焼を育んだ、古琵琶湖の恵み

松山陶工場を代表する「土鍋」

松山陶工場を代表する「土鍋」

およそ400万年前には、琵琶湖の湖の底に位置していたと言われる伊賀。

その頃の「古琵琶湖層」と呼ばれる地層から産出される陶土には、今も生物や植物の化石が無数に含まれているそうです。
それらが焼成される際に燃え尽きることで、多孔質な焼き物が仕上がるのだそうです。

「多孔質」というのは、その名の通り肉眼では見えないような細かな穴が無数に空いている状態のこと。
その小さな穴の空気層が断熱材のような役割を果たすことで、伊賀焼は高い蓄熱性や耐熱性を持つ焼き物になるのだそうです。

ゆっくり熱を伝え、一度温まると冷めにくい。
そんな伊賀の土ならではの性質は、古くから土鍋づくりにも活かされてきました。

「窯元の息子」ではなかった五代目

松山さんと奥様

松山さんと奥様

現在、松山陶工場を営む松山安利さんは、生まれながらの陶工ではありません。
窯元の家系を継いできたのは奥様側で、松山さん自身はもともと自動車部品をつくる仕事をされていました。

「普通のサラリーマンで、鉄削ったりとか、自動車部品とかやってたんです。」

窯業とはまったく縁のない世界から、この道へ入られたのは今から三十年以上前のことです。

窯業の世界は通常、師匠から弟子へと技が受け継がれるもの。外部から飛び込んできた松山さんには、体系的に学べる環境があったわけではなく、見よう見まねで手を動かし続けることから始まったといいます。
普通のサラリーマンが窯元を継ぐことは、この業界では非常にまれなことなのです。

「今でも、あんまりうまいことできひんなと思いながらやってます。」

そう笑っておっしゃる姿に、いわゆる「頑固職人」のような空気はありません。
外からこの世界へ飛び込んだからこその、飾らないおおらかさが伝わってきます。

そしてこの「外から来た」という事実こそが、松山陶工場のものづくりの根っこにあるように感じました。
窯業の常識を内側から叩き込まれていないからこそ、「こうでなければならない」という縛りが少ない。それが、他にはない器の個性につながっているのです。

伊賀焼は、長い歴史を持つ産地です。かつてはこの場所にも登り窯があり、多くの職人が土を練り、焼き物を重ねていたといいます。工場の敷地がなだらかな坂になっているのは、その名残です。

「昔は土を山から掘ってきて、ここで選別したりしてたんです」

昔の釜

昔の釜

ただ、今はそのやり方を続けるには人手が足りません。
必要なところは変える。土は購入し、型と機械も使う。それでも土鍋としての本質は手放さない。その感覚が、松山陶工場のものづくりの姿勢として一貫しています。

下請け時代が育てた技術

松山陶工場は、長い間、大手窯元の下請けとして製造を担っていました。仕事の大半がそこからの受注で、毎日同じ製品を大量に作り続ける日々だったといいます。

「ほとんど九割ぐらいそこの仕事やってて、っていう感じでしたね。」

その量がまた、想像を超えています。

「2〜3ヶ月ぐらいで、1万個とかやってたな。」

しかもそれを、ほぼ二人でこなされていたと言うのです。奥様がさらりとおっしゃいます。

「休みなく作ってましたね。」

その言葉の響きとは裏腹に、想像するだけでも相当な仕事量です。松山さんは笑いながら続けてくださいました。

「その時はほんまに腕上がってるよな」

大量に安定して作る技術、限られた人数で工程を回す力、型を使いながら手を加えて仕上げるリズム。

作業中の松山さん

作業中の松山さん

休みなく手を動かし続けた日々の中で培われたものは、今の松山陶工場の陶器づくりにも活きているのですね。
苦しい時代だったかもしれませんが、その経験なくして今はない、とも感じられました。

取引先の会社が大きくなり、代が変わるにつれて、製品にはより均一さや安定性が求められるようになっていきました。

「わずかな違いでも、はっきり区別されるようにもなって… 」

釉薬のわずかな揺らぎや、手仕事ならではの個体差。かつては"味"として受け止められていたものも、次第に細かく管理されるようになっていきました。

もちろん、それは決して間違ったことではありません。ただ、松山さんたちが大切にしたいものづくりとの間に、少しずつ距離が生まれていったのです。
そしてついに、松山さんたちはその道を離れる決断をします。

仕事の9割を失って、それでも続けた陶器づくり

独立後は、決して順調ではありませんでした。仕事の大半を失い、しばらくの間はお二人でアルバイトに出られることもあったといいます。

「九割の仕事がなくなったので、しばらくは夫婦でアルバイトに出ていました」

「これでは生活できひんと思って。とりあえずは私からっていう感じで、ちょっと働きに行って」

それでも工場をやめなかったのは、やはり作ることに対する想いがあったからではないでしょうか。松山さんはこう話してくださいました。

「昼過ぎに帰ってきても何もすることがないのはもったいないと思って。なんか作ろうかとか、なんか片付けようかとかから始まって。」

少しずつ片付けをして、少しずつ注文を受けて、少しずつまた焼き始める。そんな積み重ねの中で、意外な声が届くようになります。
下請け時代には声をかけにくかったとおっしゃる問屋さんが、「やめたなら頼みたい」と相談してくださるようになったのです。

「やめたって言ったら、それやったら注文出すわみたいな。ほんまは相談したかったんですね、もともと。」

長く続けてきた仕事を手放す決断は、決して簡単なものではなかったはずです。けれどその変化をきっかけに、今度は"松山陶工場として作ってほしい"という声が、少しずつ集まり始めていました。
その後、知人のいた四日市の問屋さんを足がかりに、少しずつ販路を広げていかれました。苦渋の決断が、新しいものづくりの始まりとなったのです。

伊賀の土だからできる土鍋

伊賀焼の土には大きな特徴があります。古琵琶湖層と呼ばれる地層から採れる土は、多孔質で空気を含みやすく、耐火性に優れています。だから伊賀焼は、古くから土鍋づくりに向いていると言われてきました。松山陶工場の土鍋も、その土の力に支えられています。

天日干し中の土鍋

天日干し中の土鍋

けれど今、この産地のものづくりをめぐって、ある変化が起きています。
多くの耐熱陶器で原料として使われている「ペタライト」という鉱物の価格が急騰しているのです。

ペタライトは、急激な温度変化による割れやヒビを防ぎやすくする素材で、現在の耐熱陶器では広く使われています。扱いやすく、安定した品質を保ちやすいことから、多くの窯元にとって欠かせない原料でもあります。

ところが近年、リチウム成分を含むペタライトは、電池材料として世界的に需要が高まり、国単位で買い付けられるようになりました。その影響で、原料価格も大きく上昇しているのだそうです。
当然、原料価格の高騰は製品価格にも影響します。

そんな中、松山陶工場では少し異なるものづくりを続けています。
看板商品の土鍋や温め鍋には、ペタライトを使わず、耐熱性に優れた伊賀の土そのものを活かしているのです。

「ペタライト使ってへんのって、大量に作ってるとこではほとんどないと思います。」

さらに、ペタライトを使わないことは、器の表情にも違いを生みます。

あたため鍋

あたため鍋

「ペタライトではこういう白やグリーンの色が出ません。どちらかというと赤みがかった色しか出ないので」

あのやわらかな白や深みのある緑は、伊賀の土を活かし、ペタライトに頼らないからこそ生まれる色なのですね。

もちろん、その選択には特徴もあります。
ペタライトを使った耐熱陶器に比べると、松山陶工場の土鍋は使い続ける中で釉薬表面に細かなヒビが入りやすくなります。土と釉薬の収縮率の違いによって生まれる、いわゆる「貫入」と呼ばれるものです。
実際に見せていただいた土鍋にも、細かな線が無数に入っていました。

日々が味わい深い土鍋

日々が味わい深い土鍋

見た瞬間は少し驚きますが、不思議と悪い印象は受けません。むしろ、日常使いする道具らしい落ち着きがありました。

「ヒビはどうしても嫌われがちです。でも使う分にはそれほど問題ありません。見た目がバシッと入ってしまうので不安になられるのは分かりますが、機能的には影響ありませんよ。」

均一で変化しない器ではなく、使いながら少しずつ表情が変わっていく器。松山陶工場の土鍋には、そんな"育っていく道具"としての魅力がありました。
奥様が自宅で実際に使っている土鍋は、週に四、五回使いながら二年間、ヒビが入っていても漏れたりすることはないといいます。

「育てる土鍋、みたいな感じで楽しんでもらえたら。」

奥様がそう言葉を添えてくださいました。
完成した瞬間が一番美しい道具ではなく、使いながら変化を楽しんでいく道具。松山陶工場の土鍋には、そんな魅力があります。

型を使いながらも、ほとんど手仕事で生みだす

松山陶工場の製品は、型を使って成形されます。一見「量産品」のように聞こえるかもしれません。しかし実際の工程を見ると、その印象は大きく変わります。

土鍋の蓋は、型から出た段階ではただの丸い板です。それを手でひとつひとつ削り、段差をつけて蓋らしい形に仕上げていきます。

「段差つけたり、そんなんもほぼ手で削って」

看板商品のひとつである雪平鍋はさらに独特です。型から取り出した段階では口元が真っ直ぐな筒状で、それを手でキュッと内側に曲げてあの特徴的なフォルムにします。

「型から出てきた段階では真っ直ぐなので、それを手でキュッとこう曲げて形を作ります。多分うちぐらいしかやっていない技法だと思います。」

誰かに習ったわけでもなく、試行錯誤の末に自分たちで編み出した技法です。

温め鍋も同様で、型から出た後にろくろに乗せ、手で押しながらあのやわらかく丸いフォルムを作っていきます。最終的な形は、手のさじ加減で決まります。

ご夫婦での作業

ご夫婦での作業

そして成形が終わった器は天日干しで乾燥させます。夏の晴れた日なら、朝八時に出した温め鍋が昼過ぎにはもう乾いているのだそう。
梅雨の時期は置く場所がなくなるほど大変ですが、乾燥機を使わないのはコストを抑えるためでもあります。その後、素焼き、釉薬がけ、本焼きと工程を重ねていきます。

さらに、ここでは釉薬をかけるのも手作業です。それゆえ、器を釉薬に浸ける際の角度は毎回わずかに異なります。そしてそれが、手仕事ならではのゆらぎとして器に残るのです。

手作業ならではの味わい

手作業ならではの味わい

「まあ手作り感が……綺麗すぎへんっていうか」

奥様が苦笑しながらおっしゃいます。けれどその「綺麗すぎない」ところが、松山陶工場の器の個性になっています。

見向きされなかった展示会から、大手セレクトショップとの25年

松山陶工場を代表する商品のひとつに「温め鍋」があります。一人用のスープや煮物にちょうどいい小さな鍋で、今では根強い人気を誇ります。

温め鍋

温め鍋

しかしそれも、最初から評価されていたわけではありません。約二十五年ほど前、温め鍋を開発して初めて大きな展示会に出品したときは、あまり声がかからなかったのだそう。

「全く人気がなかった。何十点ってそういう商品があった中でも、最下位ぐらいで。」

けれどその翌年、青山のギャラリーから声がかかり参加した結果、オーナーが強く気に入ってくださり、そこから評判が広がっていきました。

「そこのオーナーの人がすごい気に入ってくれて、あ、これはいいわって言って。日経新聞にちょっとこれ出させてもらっていい?って。そっからすごいバーッと」

その評判がきっかけで、日本の工芸品を広く扱う大手セレクトショップとの取引が始まりました。最初は子ども向けのイベントの企画商品として扱われる予定でしたが、予想以上の反響を呼び、それから二十五年以上にわたって取引が続いています。

「初めはちょうどなんか子供向けのイベントをやるんで、その時にこの温め鍋も一緒に出そうかなって、その時の企画商品で終わるはずだったんですけども、結構すごい人気が出て。」

奥様が笑いながら続けます。

松山さんは積極的に売り込むタイプではないとおっしゃいます。展示会でも、どちらかといえば寡黙なほうだとか。

「喋るのがもうあれなんで。よう喋らんし」

そう苦笑される姿がかえって潔く感じられます。派手に宣伝しなくても、誠実にものを作り続けるその姿勢が、人から人へと伝わってきたのかもしれません。

外から来たからこそ、固執しない

松山さんとお話ししていて印象的なのは、そのフラットさです。110年以上続く窯元の五代目でありながら、肩に力が入っていない。

歴史ある産地というのは、もちろん誇りになる面もある一方、時に重圧にもなりやすいものです。同業者との関係、組合のしきたり、産地内での立ち位置など、気にしようと思えばいくらでも気になることがあります。110年以上続く窯元ともなれば、なおさらです。

歴史ある松山陶工場

歴史ある松山陶工場

しかし松山さんは、そうした空気にあまり縛られていない印象です。それは、外の世界を知っているからこそできることではないでしょうか。
自動車部品の製造という、まったく異なる現場で合理的に物事を考える習慣が身についている。窯業の世界に入った時、すでに余計な先入観がなかった。

たとえば、雪平鍋の口元を手で一本一本曲げるやり方。効率的とは言えないかもしれませんが、ためらいなく続けています。

「これが正解かどうかわかんないけど、まあこれでやってたんで」

そしてこうした「かたくな」ではない姿勢が、中長期的には他との差別化につながっています。
伝統産地の中にいながら、求められるものを合理的に判断できることは、外から飛び込んできた方だからこそ持てる強みといえるのかもしれません。

価格についても同様です。ペタライト高騰の影響を受けにくい製法、天日干しによる乾燥、ご夫婦二人での運営——それぞれが積み重なって、手の届く価格が実現しています。

手作業での天日干し

手作業での天日干し

「二人でやってるっていうことが大きいです。乾燥も天日干しでやっているなど、なるべくお金をかけない方向ではやっています」

「安くていい土鍋があるの?」と思っていた方が、実際に手にして驚かれる。その積み重ねが、松山陶工場の評判を少しずつ広げてきました。

三人体制となる、松山陶工場

この春、松山陶工場には大きな変化がありました。二十五歳の息子さんが、勤めていた会社を辞め、工場に戻ってこられることになったのです。週末だけ手伝いながら型押しの基本を覚え、いよいよ本格的に加わります。

伝統工芸の世界では、後継者問題は深刻な課題です。どれだけ優れた技術と歴史を持つ窯元でも、継ぐ人がいなければ途絶えてしまいます。伊賀焼の産地でも、廃業する窯元は少なくないと聞きます。
そうした意味で、松山陶工場にとってこの春の変化は単なる「人が増える」以上の意味を持ちます。窯元の未来を問う、最も根本的な問いに対する答えが、自然な形で出たのです。

「帰ってきてくれると楽になりますし、待ってくれているお客様もたくさんいるので、頑張って出来るかなと。」

長い間、ご夫妻二人で工場を守ってきたからこそ、息子さんが戻ってきてくれることは心強いに違いありません。一方で、その道のりが決して平坦ではなかったことも、お二人が誰より知っています。

下請け仕事がなくなり、先の見えない時期を経験し、原料や燃料の高騰にも向き合いながら続けてきたものづくり。その苦労を思えば、「帰ってきてくれて嬉しい」という気持ちだけでは語れない部分もあるのでしょう。

自分たちが歩んできた大変さを知っているからこそ、同じ苦労はさせたくない。けれど、この仕事や工場がこれからも続いていくことを思えば、やはり頼もしい。そんな嬉しさと心配が入り混じった親心が、お話の端々から伝わってきました。

三人体制になれば、今まで手が回らなかったことも少しずつできるようになります。納期に余裕が生まれ、新しい商品開発にも挑戦できるかもしれません。

110年以上続いてきた窯元の歩みは、「伝統を守る」だけではありませんでした。外から飛び込み、悩みながら変わり、必要なものを選びながら続けてきた。
「こうでなければいけない」という既成概念を持たないからこそ、合理的に、そして自由に選べる。その積み重ねが、長い目で見れば他にはない差別化になっています。

だからこそ松山陶工場の土鍋には、どこか肩肘張らない心地よさがあるのだと思います。これから三人体制となった先で、どんなものづくりが生まれていくのか。その続きも、楽しみにしたい取材となりました。

松山陶工場の商品一覧

[商品名]

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