ブランド紹介
クロダ
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手袋の産地香川県東かがわ市に手袋製造業として創業。 40年以上続くクロダの伝統的なレザーグローブは、現代のライフスタイルを反映した機能性素材を使用。指先まで美しく見えるのはステッチまでデザインしています。 手を入れた感覚はどこまでもなめらかで包み込むような心地良さは、冬の外出を楽しくします。 |
KURODA取材記
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みなさん、日本の“手袋”の産地といえば、どこを思い浮かべますか? 一般的に手袋は、防寒目的として使われるアイテム。その特性から、日本列島の北側、寒さの厳しい地域を産地としてイメージされた方も多いのではないでしょうか。 実は、日本最大の「手袋の町」は、香川県の東かがわ市です。温暖な香川県が産地なのかと意外に思われるかもしれませんが、なんと全国生産の90%という圧倒的なシェアを誇ります。 なかでも今回は、レザーグローブを手掛けて40年以上の歴史を持つ「KURODA」にお邪魔しました。 お話をお伺いしたのは、代表取締役社長の棚次さん(右)と経営企画部部長の佐竹さん(左)です。 KURODAの手袋は、手を入れた瞬間、ほわっと優しく包み込まれるような心地よさがあります。 すっと伸びた美しい指先と、洗練されたデザインも魅力です。 今回の取材では、香川で手袋産業が根付いた歴史から、海外工場の現状、日本のモノ作りの魅力まで、さまざまな話をお伺いしてきましたので、その熱量を少しでもみなさんにお届けできると嬉しいです。 手袋の産地・東かがわ市が誕生したきっかけ そもそも手袋産業が東かがわ市で盛んになったきっかけは、なんだったのでしょうか。その礎を築いたのが、両子舜礼(ふたごしゅんれい)と棚次辰吉(たなつぐたつきち)という二人の人物です。 はじまりは明治時代。東かがわ市でお坊さんをしていた舜礼は、とある女性と恋に落ち、駆け落ちして大阪に移り住みます。 そこで生計を立てるため着目したのが、メリヤス生地の製造でした。なかでも手袋の需要が高まっていくと見越した舜礼はその製造に乗り出し、彼の従弟であった辰吉など数名の若者を呼び寄せ、事業を拡大していきました。 ところが、舜礼は若くして病気で亡くなってしまいます。残された辰吉は地元の東かがわ市に帰郷。手袋作りを地場産業として根付かせていきました。 「もともとこのあたりは『塩』と『サトウキビ(和三盆)』と、農業くらいしか産業がなくて貧しかったんです。農業の合間にやる家内工業として、手袋作りが広まっていきました」と棚次さん。 一社員が、突然社長に 実はこの歴史ストーリーに出てくる「辰吉」が、棚次さんの曽祖父にあたります。 「小さい頃はイヤでしたね~(笑)。地元では曽祖父が有名なのでその子孫として『お前も手袋産業をやるだろう』って思われるし、昔は長時間労働のキツイ仕事というイメージがあったし。私自身、手袋関連の仕事に従事する気はなかったんですよ」と語る棚次さん。 学校卒業後は、手袋とまったく関係のない職業に就きました。しかし、地元で働きたいという想いが強くなり、縁があってKURODAに入社します。 「それから長年ずっと営業をやってきたんですけど、44歳のとき会長(当時の社長)にいきなり『4月から社長をしろ』と言われまして。もうイエスかノーですよ。ノーだったら辞めなきゃいけない(笑)」 偉大な曽祖父が理由だったわけではなく、棚次さん自身が長年働き続けた結果、社長というポジションにたどり着いた。当時の中小企業では、このようにまったく血縁関係のない一社員が代表権をとるのは珍しかったそうです。最初は就きたい仕事ではなかったかもしれないですが、棚次さんにとってこの仕事は天職だったといえるでしょうね。 「人がしないことをする」KURODAのモットー KURODAを一代で築き上げたのは、現在、会長を務める黒田さん。 棚次さんによると「会長は業界でも異端児というか…過去に例がないことをやる人だったんですよ。“人がしないことをする”という考え方を持っている人です」とのこと。 その言葉通り、KURODAは日本を飛び出して、海外に次々と工場を設立していきます。最初は、1986年に中国の上海に工場を作りました。今でこそ海外に工場を持つ日本企業は多いですが、当時としては非常に早い進出です。 「10数名しかいない会社が上海に出るということ自体が異色で、当時はまわりから色々言われましたね。でも会長は20年、30年先を見越していたんです。まわりはみんな止めたけど、頑として譲りませんでした」 海外ならではの、苦労を乗り越えて 「それから3年くらいは非常に苦労しましたね」と、当時の中国工場について語る棚次さん。 日本の技術者を半年間ほど中国に送って、どんどん指導を行いました。そうして人を育てていくうちに品質レベルも驚くほど向上し、今では自社の海外生産の約8割を中国工場が占めるほどに。 「日本の工場ではできないけど、中国ではできるということもあるんですよ。それくらい技術力は高いです」と佐竹さん。 続いて2011年には、インドに工場を作りました。当時は、日本企業も100社ほどしか進出していなかった時代です。 「まだジェトロ(日本貿易振興機構)の事務所ができていないときで。『手袋屋さんが何しにきたんよ?』と言われましたわ(笑)」と棚次さん。 そんななか、インドでは宗教の壁が立ちはだかります。イスラム教、ヒンドゥー教、キリスト教、仏教など、さまざまな宗教が混在するインドならではの問題です。 「宗教ごとにお祭りやフェスの習慣が全然違うんですよ。お祭りがあるたびに毎日どこかのラインの誰かが休むので、全員揃うことがまずありませんでした」 さらにインドでは建物を建てるのにも苦労したとか。 「工場の建物を建てるだけで、3年かかりましたからね。寮も建てたけど、インドの建築の基準法みたいなのに引っ掛かったんで全部潰すことになって、だいぶもめましたわ(笑)」 こうやってお話を聞くといろいろ苦労されたようですが…。 「でもまぁ、会社が伸びていくころやったんで、今ふり返るとおもしろいですよ。向こうに行って、片言の英語でケンカして帰ってくる(笑)。こんな経験、なかなかできないし」と笑って話してくれた棚次さん。 「海外に工場を作るのも、全部商社を挟んでいないんですよ。基本的に商社を使うのが嫌いなんで(笑)自分たちで乗り込んでいって、自分たちで交渉してやっていく。だから苦労もするんですけどね」 2017年には、ミャンマーに工場を作りました。ところが今度はクーデターが勃発。さらに昨年はコロナの影響もあって、ほぼ生産ができなかったそうです。 「今は、ミャンマーから日本に研修生を呼んでいます。日本で技術を習得して1年経ったらミャンマーに戻り、工場のみんなに伝えていくというサイクルを作ってるところです。今後技術が伝播していって、国情もよくなるといいんですが…」と佐竹さん。 日本製ならではの、魅力とは? KURODAの海外生産は、ただ海外の工場に製造を委託しているのではなく、KURODAの技術をしっかり伝えた自社工場であることが特長です。 「同じ海外生産でも、うちの商品は品質的に国産と同じレベルのものが作れますので『KURODAの海外工場なら安心』と言われることも多いです」 技術的には海外生産も日本生産も差がなくなってきたKURODAですが、では逆に日本製ならではの魅力というのはどこにあるのでしょうか。 「海外の職人さんと日本の職人さんは、やっぱり育った環境なんかによって、ちょっとだけ視点が違うんですよ」と棚次さん。 「例えばゴルフの手袋を作る場合、『ゴルフをするときに使うんだから、こういうところをこういう風に注意した方がいい』という気配りや思いやりなんかは、やはり日本の職人さんのほうができたりするんです。特に日本の消費者の方の目線は厳しいので、職人さんも自然と工夫を凝らすようになります」 私も今までたくさんの作り手さんとお話をさせていただき、細部にこだわりがあったり、細かいところまで手を抜かなかったりする、日本のモノ作りのよさに触れてきました。 そこにはやはり「何を考え、想像しながら作ったか」「使い手にどこまで思いを馳せられたか」みたいなものが積み重なっているのかな、と。それが日本のモノ作りのクオリティの高さに繋がっているんだと思います。 KURODAの手袋が、目指すところ KURODAの手袋が一番追求しているのは、手を入れたときの「はき心地のよさ」です。カシミヤやボアといった裏地の気持ちよさはもちろんのこと、革自体にも独自の工夫を加えています。 「うちは輸入した革をすべて自社で計量器にかけ、柔らかく伸ばし、再加工して使っています。その一工程が他社との大きな違いです」と棚次さん。 「手袋の革は柔らかくフィットすることが大事なので、ほぐして繊維をゆる~くしてやらないといけない。そのためには、革を伸ばす工程がすごく大切なんです。これをやらないと手袋が途中でいびつな形になってしまう。まさに職人技の部分です」 長年レザービジネスに取り組み、革に関する知識や経験を積んできたKURODAだからこそできる技ですね。 すべて手作業で行われる、手袋の製造現場 ここからは実際に手袋を作る工場を見学させていただきました。 まずこちらは革を裁断する作業です。シワの入り具合や無駄のない取り方などを考えながら職人さんが金型を置き、上から機械でプレスしてカットします。 革を事前にバランスよく伸ばしてから裁断することで、革が伸び過ぎるのを防ぎます。加減がとても難しい作業だそう。 こちらは手袋の親指を縫製しているところ。とても細かい作業なので、見ている方は思わず息を止めてしまいます。 こちらは服飾の専門学校を卒業した新人の職人さんですが、手際がよくてびっくり! 「手袋は手につけるものだから、細かいところまで目がいっちゃうので…服を縫うよりもめちゃくちゃ難しいです」 指先の細かいところまで、一本一本丁寧に確認しながら縫製していきます。 ミャンマーからきた研修生のおふたり。2か月間日本語の勉強をしたあと、ここで縫製技術を磨いています。 こちらは、最後の仕上げの工程です。温めた金型を手袋に入れて、ひとつひとつ形を整えていきます。 仕上がった手袋は、シワひとつなくピンとして、本当に美しいですね。 手袋といえばKURODA、となるように 最後に、今後の展開をどのように考えているかお伺いしました。 「最終的には『手袋=KURODA』まで持っていきたいんです」と語ってくれた棚次さん。そのため、今後は自社ブランドの販売に力を入れていくそうです。 「今までOEM(他社ブランドの製品を受託製造すること)で、有名ブランドの手袋は全部ぼくらが製造してきたんです。でもそれだと、物は作れるけど名前は出ていかない。世界的な革の展示会ではKURODAの名が知られてるんですけど、一般的にはまだまだ広まっていないので、まずは知名度をあげていきたいですね」 今回の取材で、私自身、海外生産というものの見え方が変わりました。海外製は品質が…と思う方もいらっしゃるかと思いますが、KURODAのように日本側がモノ作りの部分をしっかり管理することで国産製品と同じくらいのクオリティを維持することができるのですね。 また逆に、日本のモノ作りの魅力も再確認することができました。貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。 |
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